アントニー・デ・メロ「悟る前に鬱、悟った後も鬱」

【元スピリチュアルジプシーの幻体験記】非二元ブログ

『今回の結論』

 

「“悟りはけして万能ではない”」

 

探求心が止まず検索し、このブログにようこそ。このご縁~探求が終わって行く事でしょう。
40年に及んだ悩みを解決した体験談を、よもやま話風にして、時にはリアルに、時には砕けた話で元気を取り戻す、心のオアシスを目指します。続けてご覧いただく事で気づきはきっと早まります。イエスでもブッタでもどんな聖者でも、悩みの一発解決の秘技はありません。何で気づくか、どこで気づくかは皆んな違いますが、この耳タコ攻めブログで観点の変化が起こり、やがては安楽へ。

 

健の幻想ストーリー

 

はじまりはじまり~

 

悟る前に鬱、悟った後も鬱

 

悟りのメリット?

 

アントニー・デ・メロ牧師の

 

深い言葉?

 

「悟る前に鬱、悟った後も鬱」

 

額面通りに

 

受け取るとツッコミどころ

 

満載 の言葉

 

釈迦が悟りを求めた事さえ

 

無意味?

 

釈迦も 悟るための

 

荒行を辞めて

 

瞑想でなどで

 

煩悩(欲)を断つなどして

 

ブッタになったとされています

しかしながら

 

悟ろうとする事も煩悩(欲)で

 

矛盾もあります(中村天風 説)

 

それと僕には 悟った

 

まだ悟ってないの境目が

 

曖昧ですし

 

仮に悟りに至ったとしても終始

 

ブッタ(ブッタ=悟った人)のような

 

不動心でいる事は

 

皆無に思えてなりません

それでも人は苦難に

 

遭遇したりすると 解決策として

 

悟りにたよったり

 

しがちになります

 

悟って苦しみを無くし

 

幸せになろうと 悟りを目指し

 

探究しますが すぐに悟れて

 

幸福なれる宗教も

 

セミナーありませんし

 

ましてや即効性は

 

絶対にはありません

 

最高の幸せは 

 

不幸なことも必要で

 

必ずしも幸福は

 

必要ではないことと

 

悟ることです

 

ブッタも悟りを得る為に

 

試行錯誤した話は壮絶です

 

そんな壮絶な人生もあれば

 

平凡な人生もあります

 

そうして孤独がたいして

 

寂しくないと思えたとき

 

人は自分の自由を

 

知ることができます

 

人はその人なりに

 

人生を謳歌すれば悟りなどは

 

どうでもよくなります

 

しかも悟った人ばかりになった

 

世の中では 味気なくなりますね

 

悟ってもメリット

 

ばかりではなありません

 

悟らなくても当然デメリット

 

 

ばかりではありません

 

結論=“悟りは万能ではない”のです

 

 

 

健の信念:でもそれも「なるようになる」
“それを言っちゃあ おしめえよ”

【健の幻想ストーリーケセラセラ】の概略

探求!探究!でスピリチュアルの流転を重ねて、内観 瞑想 気功 非二元 バシャール エックハルトトール 占い 超能力 スピリチュアルtv  引き寄せの法則 アセンション説などにハマりましたが、数十年に及ぶ探求心を今は手放して、気楽になった話を、埼玉県のわかっちゃった幻の老人が、青い鳥(しあわせ)は「な〜んだ、これかョ」のブログを皆様に継続して、お伝え出来ればと思います。